山田方谷、幕末の財政再建派

二宮金次郎の一生」という本を読みました。金次郎の諸々の村の復興は、分度という税金の総額を決めることによる実質減税と、報徳仕法という農業復興事業とによりなるのだそうです。地方政府であった諸藩からすれば、財政再建のために役所内でのリストラを行ったことになるのでしょう。当然に反対者も出ましたし、「借財を転じて無借となす」といいながらも借財の返済には30年近くかかったり、二宮尊徳自身が貸し付けたお金の返済もとどこおったりすることがたびたびであったようです。

二宮金次郎の一生

二宮金次郎の一生

金次郎は、決して寄付や、贈与はしなかったそうです。あくまでも、一人一人に対する貸付という形で村、村を支援しました。いまのマイクロファイナンスに通じます。報徳会というのは、現在の信用金庫の元になったのではないでしょうか?

これに対して、山田方谷とその弟子である河合継之助の藩政の立て直しは、通貨の信用を回復することによってもたらされました。その結果は数年のうちに出ましたし、しかも借財も確実に返済することができました。

日本全国の小学校に銅像を建てられるほど二宮尊徳は慕われ、逆に墓を倒されてしまうほど河合継之助は評価されませんでした。山田方谷も新政府には仕官しないという意地を通しました。

今の世の中を考えると、山田方谷流の自分の身をなげうった改革が必要なのではないかと思われます。そして、それは、政府のレベルだけでなく企業でも、血を流してでも改革を行うことが必要な時代が来ているのではないでしょうか?


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