成田山新勝寺

真言宗智山派の大本山。

成田山新勝寺は平安時代中期に起きた平将門の乱の際、939年(天慶2年)
朱雀天皇の密勅により寛朝僧正を東国へ遣わしたことに起源を持つ。
寛朝は京の高雄山(神護寺)護摩堂の空海作の不動明王像を奉じて東国へ下り、
翌940年(天慶3年)海路にて上総国尾垂浜に上陸。
平将門を調伏するため、下総国公津ヶ原で不動護摩の儀式を行ったと云われています。
新勝寺はこの天慶3年を開山の年としています。

第二次大戦中、『江戸時代、成田山の仁王門再建工事をしていた大工"辰五郎"が
誤って高い足場から転落したが、成田山の焼印を押したお守りが二つに割れ、
お不動様の霊験により怪我ひとつなく助かった』という地域内の言われから、
出兵兵士達の間で成田山の「身代わり札」が流行しました。

23万㎡の広大な境内には、新旧のさまざまな建造物が並び、
庶民の信仰の場の雰囲気を残しています。
現在5つの建物が、国の重要文化財に指定(昭和55年5月31日)されています。

  • 仁王門/文政13年(1830年)建立
  • 光明堂/元禄14年(1701年)建立
  • 釈迦堂/安政5年(1858年)建立
  • 三重塔/正徳2年(1712年)建立
  • 堂/文久元年(1861年)建立